予防接種の話、2

2011年3月

助手:

博士、先日、小児科専門医の倉辻忠俊(くらつじ ただとし)先生の講演会があったようですね。

博士:

実に内容の濃いお話で、2時間があっという間じゃったな。

助手:

倉辻先生は、小児感染症の分野で世界的にも高名な方と聞いていますが、講演会のために来訪されていたのですか?

博士:

国立国際医療センターや国立成育医療センターの小児科研究所で活躍をされ、WHOや米国CDCの仕事もされていたが、退職後は、JICAのシニアボランティアとしてパプアニューギニアに2年間勤務されていた。その勤務が終了し、今回は日本キリスト教海外協力会(JOCS)の派遣で、タボラ州での医療協力支援のために来訪されている。2年間の予定とのことじゃ。

助手:

タボラ州での医療支援というと、以前の“子供の話”に出てきた助産師の清水範子(しみずなおこ)さんと一緒ですね。

博士:

そうじゃ。派遣元も一緒じゃ。清水範子さんは3年の任務を終え、現在日本各地で報告会を行っているが、倉辻先生はその後任にあたる。

助手:

清水さんは、お産の介助、妊産婦や乳幼児の健診、予防接種など、たいへんな活躍をされていたようですね。

博士:

分娩介助数は700例以上とのことじゃから、凄い数じゃな。タボラでは助産師の数が圧倒的に少ない。小児科専門医は、州全体で一人もいない状況じゃ。

助手:

小児科医が一人もいないですか。そんな土地に専門医である倉辻先生が支援に行かれるわけですね。

博士:

そうじゃ。タボラだけの話ではなく、タンザニア全体でも医療従事者の数は圧倒的に少ない。マラリアを始めとした感染症、医療施設の不足、低栄養など、母子保健の向上は、タンザニアにとって重要な課題の一つじゃ。

助手:

子供の死亡率は高いそうですね。

博士:

うむ。1歳未満で死亡する子どもの率、乳児死亡率は1000人あたり73人で、日本(3人)の24倍。5歳未満の子供の死亡率1000人あたり116人で、日本(4人)の約30倍にあたる。妊産婦死亡率もタンザニアは10万人あたり580人、日本は8人じゃから日本の70倍以上じゃ。

助手:

アフリカの中では治安も安定しているタンザニアですが、医療の面では、まだまだ日本とは比べ物にならない状況なのですね。

博士:

日本も昭和の初めまでは乳児死亡率は100人を超えていたが、その後の急速な発展で死亡率が劇的に改善したじゃ。

助手:

そうなんですか。少し前までは日本も遅れていたですね。

博士:

特に戦後の、衛生状態の改善、感染症対策が効を奏したと言える。以前は、肺炎、結核、胃腸炎が死亡原因の上位を占めてい

助手:

なるほど。そうした感染症がいまだにタンザニアでは多いので、死亡率も高い、というわけですね。

博士:

さらに加えて日本には無いマラリアも当地にはある。タンザニアにおいては、そうした感染症対策に重点的に取り組む必要がある。これは、当国に暮らしている我々にとっても、注意すべき事項じゃ。

助手:

蚊に刺されないとか、食べ物は熱を通したものだけを食べる、ということなどの注意が必要なんですよね。その辺のお話を倉辻先生がされたのですか?

博士:

そうじゃ。講演会では、当地での問題点、具体的には感染源を知ること、解決の方法を考えること、すなわち感染経路を知ること、そして、その知識を生かして実際に行動に移すことの重要性が強調された。

助手:

感染源というと、細菌とかウイルスとかですよね。

博士:

タンザニアでは、マラリア、結核、エイズが三大疾患じゃ。さらに呼吸器感染症として、麻疹(はしか)、b型インフルエンザ桿菌、肺炎球菌、百日咳、ジフテリア、 インフルエンザ。下痢の原因菌としては、赤痢菌、赤痢アメーバ、コレラ、サルモネラ毒素産生性大腸菌、ロタウイルス、ノロウイルス、ジアルジアなど。さらに昆虫媒介感染症としてデング熱、黄熱、エボラ出血熱、フィラリアなどがある。

助手:

並べきれないですね。それぞれの感染経路はどうなっていますか?

博士:

主として6経路ある。

空気感染:空気中に浮遊する非常に小さい微生物を吸い込むことによって感染する。飛距離50~100メートル;結核、麻疹、水痘、アスペルギルス肺炎など。

飛沫感染:咳、クシャミなどにより人から飛び出した微生物を含むしぶき(飛沫)を吸い込むことによる感染する。飛距離1メートル;インフルエンザ、SARS、百日咳、髄膜炎菌髄膜炎など。

接触感染:手などを介し直接接触することによる;風邪の原因ウイルスなど。

媒介感染:蚊など動物や物を介して感染;マラリア、デング熱、日本脳炎など。

経口感染(糞口感染):赤痢、コレラ、ロタ、ノロなど。

性交感染:梅毒、淋病、HIV、B型肝炎など。


助手:

空気感染だと100メートルも飛ぶですか。

博士:

そうなんじゃ。したがって、病院内で他の病棟に結核が広がったり、あるいは学校で麻疹が他の教室の生徒にまで広がったりすることが生じる。主として飛沫感染であるインフルエンザではそこまで広がらないため、学級閉鎖をすれば良いが、麻疹の流行では学校閉鎖が必要になる。そして、感染を防ぐには、その経路を絶つことが対策となる。

助手:

マスクをするとかですか?

博士:

マスクも有効な対策の一つじゃ。マスクの有効性は証拠(エビデンス)がある。SARS流行時に倉辻先生自身がベトナムで調べたところによると、マスクを着用していなかった場合、常時着用していた場合の26.7倍感染しやすかったということじゃ。従って、流行時に公共機関や人が集まる場所に行く場合には、市販の物で良いからマスクを着用することで感染の機会を減らすことができる。

助手:

でも、ウイルスの粒子は小さいので、M78でしたっけ、目の細かい烏天狗のような形の専用のマスクをしないと防げないのではないですか?

博士:

ウルトラマンの故郷じゃないじゃから。M78星雲ではなく、N95じゃ。N95は確かにウイルスを防ぐ効果は高いが、非常に目が細かく、呼吸が苦しくなるので、一般の人が長時間使う場合には適していない。医療従事者や鳥・豚などを扱う業者のみが使うべきものじゃ。先ほどの飛沫感染でも説明したが、たとえばインフルエンザウイルスの場合は、ウイルスの周りには水分や気管支などの上皮細胞が付着しており、5マイクロ以上の大きさで飛沫粒子となっているから、通常の市販マスクで十分防ぐことが可能なんじゃ。マスクはその他に、気道に湿り気を与えることにより病原体の侵入を防ぐ効果もあるし、また、手や鼻を無意識に触って広げることによる接触感染の予防にもつながる。

助手:

接触感染の予防には、手を洗うことも、大事だったですよね。

博士:

うむ。感染予防の原則は、1.個人の衛生(手洗い、マスク、うがい)、2.環境の衛生(飲料水、トイレ、下水道)、3.乾燥(食器は使用後すぐに洗浄、水分は直ちにふきとり乾燥させる)、4.消毒(85℃30秒の煮沸ないし次亜塩素酸)じゃ。

助手:

食器は使用後水につけておいてはいけないですか? 夕食後洗うのが面倒なので、そのままタライに入れて放置しているんですが。

博士:

うむ。少したいへんじゃが、その辺手を抜いてはいかん。出来るだけ細菌やウイルスに暴露する機会を減らすこと、暴露が仕方ない場合でも微生物の粒子数量を減らす努力をすることが感染を減らすには重要なんじゃ。

助手:
機会を減らすこと。やむを得ない場合でも量を減らすことですね。匂いが変だなと思っても、もったいないと思って、つい完食してしまうことがあるんですが、それは良くないわけですね。博士、でも、同じ物を食べてもお腹を壊さない人もいるし、私のように、すぐに下痢をしてしまう人もいますよね。その辺、それぞれの体質あるいは免疫が異なるわけですよね。
博士:
そうじゃ。感受性には個人差がある。また、過去にそのウイルスなり細菌に暴露した経験があれば、多少の免疫が成立し、感染しても軽く済むことも多い。そして、そういう免疫を人工的に誘導するのが予防接種、ワクチンなんじゃ。

助手:

予防接種ね。結構痛いですし、副作用もたまに問題になりますよね。

博士:

予防接種は人類最大の発明の一つであり、これにより天然痘は根絶され、ポリオや麻疹、新生児破傷風が世界中から激減したじゃ。さらに言えば、予防接種を受けることは君だけ、個人の問題ではなく、社会的な防衛にもつながるんじゃぞ。

助手:

社会的な防衛って。ワクチンは個人を守るための物ではないのですか?

博士:

集団免疫(herd immunity)という考え方がある。

助手:

免疫って、一人の体の中で起きることではないのですか?

博士:

ワクチンは個人免疫と集団免疫の2つの腑活(ふかつ)効果が期待される。個人に免疫が賦活するかどうかが個人免疫であり、インフルエンザワクチンの場合60%などの数字が有効率として算出される。一方、集団全体が免疫を有するためにどの程度の割合の人がワクチンをすればよいかという問題があり、これは例えばインフルエンザであれば70%以上で期待されるなどいう数字が出ている。※

助手:

それってつまり、集団の7割の人がインフルエンザワクチンを受けていれば、受けていない人にも感染防止効果が期待できる、っていうことなんですか。

博士:

その通りじゃ。ハイリスク、つまりインフルエンザに罹ると重症化し易い状態であるけれど、HIVであるとかアレルギーがあるとかの理由でワクチンを受けられない人たちがいても、その集団の中にいれば、感染しにくいということじゃ。こうした集団免疫のデータはインフルエンザのみならず肺炎球菌ワクチンでも報告されている。※

助手:

ワクチン接種は社会全体のためでもあるですね。それで、どんな予防接種を受けておくべきなんですか?

博士:

WHOが全ての人に推奨しているワクチンとしては、BCG、ポリオ、 B型肝炎、DTP(ジフテリア、破傷風、百日咳)、TT(破傷風)、 Hibb型インフルエンザ桿菌)、 肺炎球菌、麻疹(はしか)、人パピローマウイルスを挙げている。

助手:

途上国では、もっと必要ですか?

博士:

うむ。流行地域・職業などのリスクによって、黄熱、日本脳炎、ロタウイルス。腸チフス、コレラ、髄膜炎、A型肝炎、狂犬病が必要じゃ。さらに、集団生活を送る上で推奨されているものとして、インフルエンザ、おたふくかぜ、風疹、水痘がある。

助手:

ずいぶんたくさんありますね

博士:

それだけリスクが高いということじゃ。上記の予防接種をしてはいけない、禁忌とされているのは、その予防接種で過去にアレルギーを起こしたことのある者、エイズを発症している者とされている。

助手:

つまり、アレルギーの人とエイズの人以外は受けるべきだ、ということですね。

博士:

単なる通常のアレルギーは禁忌ではない。エイズも発症していなければOKじゃ。日本は、ワクチン行政が遅れていた。一般の理解も低く、ちょっと副作用があるからといって、予防接種に消極的になっていた。三種混合ワクチンしかり、新三種混合ワクチンしかり。少人数の副作用で集団接種が中止となり、気がつくと、ワクチンに起因する副作用より大きな被害がその疾患のために発生し、あげくの果てに、麻疹などは「日本は輸出国である」などとの非難を世界中から浴びせられる事態になってしまった。ワクチンは人のため、世界の人々のためでもあるという意識が足りなかった。

助手:

”ワクチンは自分の為ならず、巡り巡って世界中の人の為になる”、ということですね。

博士:

そうじゃ。”情けは人の為ならず”に掛けたわけじゃな。たまには、良いことを言うな。

助手:

でも、こんだけ受けるべきワクチンがあると、何年もかかりそうですね。

博士:

そうじゃな。1本ずつしか接種できなければ、時間がかかる。じゃが、日本も先日、日本小児科学会が同時接種を推進するとの通達を出した。1度に4−5本を接種することも可能じゃ。君のように、一晩で何種類ものお酒をたくさん飲むよりははるかに安全じゃ。

助手:

えっ? せっかくの日本での居酒屋だったんで、まずはビールから始まって、焼酎、日本酒、ウイスキー、ワインまで5種混合摂取してしまったんですよね。

博士:

そういう摂取、ショットで翌日頭痛くなっても、居酒屋に文句は言わんじゃろう。予防接種で痛かったり腫れたりすると文句を言うのに、おかしなもんじゃ。さらに言えば、酒は、一人で楽しむ分にはいいが、他の人に迷惑をかけるようになってはいかん。前回の日本では、結局君の方が先に酔ってしまって、わしはちっとも楽しく飲めんかった。タクシーで送り届けてやったのもわしじゃ。そのタクシー代ももらっておらんぞ。タクシーの中で吐くし・・・・

助手:

やー、面目ない。まさに、”酒は博士の為ならず”でした。

博士:

迷惑したのは、わしだけではない。一緒にいた店の人や、タクシーの運転手さんにも大迷惑じゃったし・・・・

助手:

だって、博士、次回は埋め合わせさせていただきますので、そろそろ日本に戻してください。

博士:
そういう落ちか。仕方がない。先日の軍弾薬庫の爆発騒※ぎなどもあり、多少ストレスがたまっとるかもしれんな。久し振りに休暇をとることにするか。
という訳で、読者の皆様、4月はお休みさせていただきます。


以下、参照、資料提供いただきました。

※倉辻忠俊先生講演会(「タンザニアで注意すべき小児感染症」、2011年2月12日、在タンザニア日本国大使館大使公邸)

Effect of Influenza Vaccination of Children on Infection Rates in Hutterite Communities

Invasive Pneumococcal Disease Among Infants Before and After Introduction of Pneumococcal Conjugate Vaccine

Dar es Sallaam Explosion on 16th Feb 2011 




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