リスクコミュニケーションの話

2009年 6月号

助手:博士、ブタ、新型インフルエンザはたいへんな騒ぎでしたね。
博士:うむ。世界中ほとんどの地域に瞬く間に広がり、まさにパンデミックとなった。特に日本の騒ぎはひどかったな。
助手:関西では街中がマスクであふれ、学校が休校となり、スーパーに人が殺到したとのことですから、まさに映画の"感染列島"という状況 だったようですね。
博士:毒性が低いと判明してからは、通常の体制に徐々に戻ったようじゃが、一種の集団ヒステリー、パニックに近かった。感染者に対する言わ れ無き誹謗・中傷、差別などもあったようじゃ。
助手:米国やヨーロッパなどとは大分対応が違ったようですが、どうしてでしょう。
博士:ひとつには、リスクコミュニケーションに問題があったことじゃ。
助手:どういう意味ですか?  リスクは危険、コミュニケーショは情報伝達ですよね。
博士:

うむ。Wikipediaを借りれ ば、Risk Communicationとは社会を取り巻くリスクに関する正確な情報を、行政、専門家、企業、市民などの利害関係者である関係主体間で共有し、相互に意思疎通を図ることをいう、とのことじゃ。

助手:難しい言い回しですが、 要は危険に関する情報を関係者でわかちあっておく、ということですね。
博士:

簡単に言えばそうなる。まずは、そのリスクが実際にどのようなものであるかについて、専門家による評価をする必要があり、それを現場の担当者や市民にしっかり伝えること。それも一方的では なく、現場側からの状況も聞き、総合的な判断・対策を行うことじゃ。

助手:

今回の件で言うと、具体的にどうい う話になりますか?

博士:まずメキシコや米国で呼吸器感染症が多発し、その原因がインフルエンザウイルス、さらにブタインフルエンザから変異したものであることが専門家により判明した。そして、現地で発 生した患者のデータ分析から、これは新型であり感染性が高い、すなわち多くに人に感染させるが、死亡率は高くなく軽症で済むことが多い。薬を服用することもなくたいていの場合、休養をとることで軽快する。また、重症者でも抗ウイルス薬のタミフルやリレンザが効果がある。重症化しやすいのは、慢性疾患を持っ ている人や妊産婦さんである。
助手:そこまでが、医療専門家によるリスクの評価、ということですね。
博士:そうじゃ。そして、その事実を正確に住民に伝える。その場合も一方的な伝達ではなく双方向とする。つまり、現場の状況に合わせて、学校の休校や、事業所の継続計画について、住民と一緒に検討し対策を検討する。これがリスクコミュニケーションじゃ。無知・無理解による混乱を防ぐために必要な方法じゃ。
助手:新型インフルエンザにつ いては、日本も十分に事前準備をしていたように思いますけどね。
博士:確かにそうじゃが、その対策は鳥インフルエンザH5N1を想定していた。
助手:つまり、毒性の高い新型 が発生して世界中に広がるというリスクを前提としていたわけですね。
博士:その前提で作成したマ ニュアルに忠実に従った対応をした。
助手:しかし、北米で発生した当初はどんな性質の病原菌かわからなかったわけですから、厳重な体制で臨んでもしかたがなかったのではないでしょうか?
博士:その通りじゃ。確かにリ スク発生の早期の段階では、最悪に備えて、大きく体制をとり、万全の対策で開始するのが正解じゃ。しかし、今回の場合、日本で感染が広がる前に、多くの情 報が既に整理されていたはずじゃ。もっと迅速に柔軟に、対策を変更してもよかった。
助手:米国の対応は早かったで すよね。
博士:WHOの会議で途上国の代表が述べていたが、今回は米国という先進国で発生したため、リスク評価の早さ、被害の小ささという面で、ラッキーだったとも言える。
助手:なるほど。医療が発達し ていない途上国で発生していたら、こんなに早くリスクの評価ができなかったでしょうね。医療設備もない薬も無い状況では、被害はもっと甚大だったで しょうし。
博士:医療が発達していても情報公開が出来ていない国で発生していれば結果は同じじゃ。知らない間に、世界中に既に広がっていて、不十分な情報、誤った情報に踊らされて、世界中がパ ニックに陥っていた可能性がある。
助手:情報の透明性が大切ということですね。情報は隠せば隠すほど、デマや根拠の無い噂が大きくなると言われますよね。
博士:
米国内では米国疾病管理局(CDC)などから早期に情報が公開され、政治家も専門家の分析に従って落ち着 いた対応をしていた。基本的に季節性インフルエンザと変わらない疾患であり病院に殺到する必要はない、と市民に繰り返し呼びかけを行っていた。 
助手:
患者が多発したニューヨークでも市民は冷静で、病院に人があふれたり、マスクを求めて薬局に殺到する などということは起きていなかったようですね。
博士:
欧米では一般市民がマスクをする習慣がそもそもない。マスクをするのは病人と医療関係者だけという認識があり、マスクをする位なら街に出てくるなという考えじゃからな。
助手:
早い段階で政府・マスコミを通じて正確な情報が公開され、住民に対する対策も検討されていたから米国市民は冷静だったということですね。それに引き換え日本は・・・、という話ですね。
博士:
行政が作ったパニックであるとの指摘もある。目を真っ赤にした大臣が夜中に緊急記者会見を行えば、何事が 起きたかと一般の人が驚くのは仕方が無い。マスコミもこのニュースをテレビで伝える際に、おどろおどろしい音楽をバックで流すなど、煽る一方の報道が多かった。
助手:
自治体も最初は政府の指示に一律に従っていたようですが、最後には悲鳴を上げ、現場ごとの対応に任せてほしいと政府に訴えたようですね。
博士:
途中で疑問に感じても、責任をとりたくない体質があり、異を唱えたり、独自の対策を実施するようになるには、時間がかかるようじゃ。
助手:
空港に多くの医師や看護師などが検疫のため動因され、医療現場はかなり疲弊したようですね。
博士:空港における検疫についても、その有効性について早くから疑問があがっていた。今年は春先から季節はずれ のインフルエンザが国内で流行していた現状、さらに3月中旬にはメキシコ周辺で新型が発生していた可能性、インフルエンザについては潜伏期間中にも感染性が あること、発熱すらしない軽症例が少なからずあったことを考慮すると、既に日本にも広がっていたと考えていた方が自然であるとの意見も多かった。
助手:
なるほどね。早めに国内進入後への対策に移ったほうが良かったということですね。
博士:
うむ。しかし、今回は、そうしたことを反省する意味では、いい練習になったのではないかとも思う。
助手:
そうですね。秋以降の来るべき第2波や、鳥インフルエンザH5N1の変異に備えるということですね。
博士:
うむ、それにしても日本人の特性、大騒ぎするがすぐに忘れるという欠点が心配じゃ。また、もう一点、この 程度のイン フルエンザに大量のタミフルやリレンザなどが使用されて、耐性が生じないかも心配している。薬は無尽蔵にあるわけではない。節度を持って使用すべきじゃ。
助手:
博士が”タミフルの話”※で言っていましたが、日本は世界のタミフル生産量の7割を使用していたそうです ね。毒性が増し たウイルスが出現した時点で抗ウイルス薬が効力を失ってしまっていたら、原因を作った国として、日本が世界中から非難されちゃいますね。
博士:そうじゃ。日本も、そろそろ自国のことばかりではなく、途上国を含めた 世界中の人々について慮る公衆衛生の視点を持つ必要があり、責任がある。
助手:それに、外国で何かあるたびに帰国させればいいってもんでもないですよ ね。そもそも世界的なパンデミックの発生時に帰国させた方が安心かどうかもわからないですよね。
博士:おっ。今回は君もかなりまともな判断ができるようになってきたな。
助手:ええ、インフルエンザ関連では博士から、リスクならず キツクコミュニケーションされていますからね。もう、私は専門家並みです。ぶわっ、ぶわっ、ぶわっ。
博士:何じゃその笑い声は? おだてられて木に登ったようじゃが、君の遺伝子にもブタが混ざったようだな。

 

タミフルの話












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