医務官業務の御紹介(番外編)

2002年5月海外邦人医療基金季刊誌掲載


1、医務官業務とは

助手:

久しぶりですね。こうして紙面に登場するのは。

博士:

そうじゃな。インドネシアを離れてからじゃから、うむ、1年半になるな。

助手:

久しぶりに日の目を見たモグラみたいな心境ですが、この間、世界中でいろんな事が起きましたね。

博士:

うむ。テロ、報復戦争、狂牛病騒ぎ等々。

助手:

博士も、なんだかすっかり髪の毛が少なくなって、好々爺といった風情ですね。ジイと呼びましょうか?

博士:

どこぞの大臣じゃないんだから、ジイは止めてくれ。君は、相変わらずのようだな。

助手:

変わりません。独身です。前より景気も悪いし、希望の光が見えません。給料は下がるし、まあリストラされないだけまだましかも、・・・

博士:

今日は、無駄話している余裕はない。医務官についての紹介をするために呼ばれたらしいからな。

助手:

そうなんですか。そもそも医務官というのは、何ですか? 大使の御典医ですか? それとも、退職した後に本を出すための就職口ですか?

博士:

おーっと、早くも飛ばしているな。大使一人のための医者でもなければ作家予備軍でもない。環境の厳しい地域での健康対策のために、在外の公館に医師として配置されたのがスタートじゃ。戦前の話だがな。

助手:

大使館員のための医師として始まったのですね。

博士:

大正時代に始まった制度だが、確かに当初は現地医師の診療を受けることが困難な在外公館職員のための嘱託医として派遣された。しかし、当時の派遣医師は、医務室を設営し、在外公館職員・家族及び在留邦人のみならず、稀にではあるが現地人も診療し、先進国の優秀な医学を本国に紹介する事もしておった。また余暇には、マルタ熱、マラリアといった風土病の研究もしておった。

助手:

そうなんですか。立派な医師もいらしたんですね。

博士:

戦後は気候状況、生活環境が厳しい国々に次々と在外公館が設置されていったが、医師の派遣についてはなかなか認められなかった。やっと昭和38年になってマラリアが蔓延したナイジェリアに初めて医師が赴任された。地域に在勤する館員、邦人の生命及び健康を守るためという事じゃが、任地との関係もあり、色々と制限があるのが実状じゃ。

助手:

そうですね。地元の医師会や保健省あたりがおおっぴらな医療行為に反対するケースもあるでしょうね。

博士:

まあ、そんなわけじゃが、年々増員され、2002年4月現在64ヶ国、69公館に71名が勤務している。

助手:

保健相談以外では何をしているんでしょうか?

博士:

現地医療事情の調査報告というのも重要な任務じゃ。その報告は海外安全情報の元データになったり、また最近では本やホームページでも紹介されている。医務官情報のまとめを担当している医務官から聞いたが、このホームページは意外に好評で、とある女子高生から「批判を浴びている外務省の中で、こんな立派な仕事をされている方がいると知り、たいへんうれしく思います」という内容の投書があったそうじゃ。

助手:

えー、それはいいな。さぞかし担当の医務官は舞い上がったでしょうね。私にもその女子高生紹介してくれませんかね。その医務官の知り合いの知り合い、という事で。

博士:

いい加減にしておいた方がいいぞ。こんな時期だから誤解を招くような発言は少し控えるようにな。

助手:

そうですね。調子に乗るとせっかくの海外邦人医療基金からのご依頼の原稿にもご迷惑がかかりますから、このへんで止めておきます。

博士:

まあ、そういうわけで医務官の職務は(1)大使館員とその家族の健康管理、(2)旅行者、在留邦人への情報提供、保健相談、(3)現地医療事情の調査報告という3つの柱からなっている。その他、最近は世界各地で事故や事件に巻き込まれた邦人のケアも行っている。

助手:

いろんな事件が起きていますからね。ニューヨークでも活躍していたようですね。

博士:

ニューヨークには医務官が常勤していたが、東京から精神科の医務官も応援に派遣され、共に現地で邦人のケアに奮闘した。またハワイ沖えひめ丸の米原子力潜水艦衝突事故でも被害者家族のケアのために東京から医務官が派遣されている。その他、ザルツブルグでのトンネル事故、キルギスでの人質事件、アフガン周辺地域での邦人保護等々、多くのケースで医務官が関わっている。

助手:

そうですか。世界各地で大活躍なんですね。それにしても、私も30を過ぎているのに、なかなか出会いの機会がありませんでね。何とかさっきの女子高校生を紹介してくれませんかね? まず、メル友からでもいいのですが。

博士:

固執しておるな。何がメル友じゃ。そもそも君は関係ないし、紹介したとしても、結果としてストーカーとでも言わて告訴されたら、また大問題だぞ。

助手:

わかりました。あきらめます。メールアドレスは博士ではなく、その医務官に直接聞いて・・

博士:

・・・。それだけの熱心さが仕事にも向いてくれればいいのだが・・

 

2、世界の疾病状況

助手:

医務官は現地の医療事情を調査、報告している、という事ですが、病気発生状況も報告していますか?

博士:

現地で実際に流行している疾患については、地元の保健省等から情報を得て、それを東京に報告している。健康相談に応じているのはあくまで館員などの邦人で、その報告は毎月行われている。

助手:

そうか。デング熱やマラリアが流行しているといっても、邦人が感染しなければ数には上らないわけですね。

博士:

現地全体の状況とは異なる面もあるが、旅行者や在留邦人にとっては価値ある情報には違いない。1987年から1997年までの毎月の報告を纏めたデータもある。

助手:

地域別に特徴がありますか?

博士:

おおまかに世界を5つにわけて考えている。

助手:

仏教、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教、ヒンズー教ですか?

博士:

そう。宗派によって病気も違って、・・・という事があるはずないだろう。

助手:

アブナイ、アブナイ。

博士:

アジア・太平洋地域、アメリカ地域、ヨーロッパ・ロシア地域、中東地域、アフリカ地域の5ヶ所じゃ。

助手:

それぞれ特徴があるわけですね。

博士:

まとめによれば、アジア・太平洋地域の多くの国(24地域中16地域)がマラリア汚染地域となっている。流行するマラリアも悪性の熱帯熱マラリアが多く、メフロキンに対する薬剤耐性マラリアも報告されている。

助手:

やくざいたいせい、というのは、やくざな医者がいる体制、というわけではなかったですよね。

博士:

懐かしいしゃれだが、どこかの国の話ではない。特効薬と言われていたクロロキン、さらにメフロキンが効かなくなったマラリアがある、という話だ。さらに、この地域では、ほぼ全域でデング熱の流行が報告されている。昨年は特に大流行したようだ。

助手:

子供が罹るんですよね。

博士:

日本人の場合、大人も多く感染している。幸い、最近重症例は聞かないが要注意だ。さらに、腸チフス、アメーバ赤痢、細菌性赤痢、コレラといった腸管感染症は日常的に見られる。経口感染では、他にA型・E型肝炎も多い。

助手:

やっぱり屋台で食べるのは止めた方がいいですかね? おいしいんですけどね。揚げ物とか麺類とか。

博士:

作りたての熱い物を、そのまま持参の容器に入れてもらえば、それほど危険はないかもしれんが、免疫力の低い旅行者などは止めるに越したことはないな。

助手:

アジアと比べるとアメリカ地域ではそれほどの問題はないんでしょうね。

博士:

アジアで流行しているような感染症については、特に北米では問題になっていない。しかし中米では、マラリアやデング熱の流行が見られる。北米でも、ダニに咬まれる事によるライム病などが都会でも存在している。

助手:

ライム病?ですか。みかんを食べ過ぎてなる柑皮症なら知っていますが、ライムは知りませんでした。

博士:

ヨーロッパでほぼ全域に注意が必要な疾患はダニ脳炎、インフルエンザ、花粉症などじゃ。また旧ソ連邦地域では、感染性腸炎、結核などにも注意しなければならない。

助手:

ダニですか。日本だとアレルギーの原因としては有名のようですが、脳炎などは聞かないですね。砂漠の中東地域はどうですか?

博士:

中東地域については、高温、砂漠気候で自然環境が厳しいため、感染症はそれほど多くない。

助手:

細菌も住みづらいわけですね。

博士:

うむ。しかし、その代わり熱中症には注意しなければならない。

助手:

なるほど暑いですからね。それに宗教上の問題もあり、ストレスもたまりそうですね。

博士:

そうじゃな。メンタルヘルスの面に配慮が必要じゃ。

助手:

残るアフリカ地域はどうですか。やはり病気も厳しいのでしょうね。

博士:

うむ。病気の宝庫と言える。まずはマラリア。ほとんどの地域でマラリアが流行しているがその多くに熱帯熱マラリアが存在し、薬剤耐性マラリア地域も多い。

助手:

やくざな体制ですね。

博士:

・・・先へ進むぞ。消化器感染症としては、細菌性腸炎、腸チフス、A型肝炎、アメーバ赤痢、細菌性赤痢、コレラ等々存在する。その他、流行性髄膜炎、B型肝炎、C型肝炎、性感染症、そしてエイズじゃ。

助手:

エイズの感染率も高いらしいですね。

博士:

そうじゃ。地域によっては20%に及んでいるところもある。

助手:

すごいですね。21世紀の大問題ですね。

博士:

その他、地域としては多くないが、狂犬病、毒蛇、サソリ、蠅蛆症、ビルハルツ吸虫、オンコセルカ、メジナ虫、アフリカトリパノゾーマ、マンソン住血吸虫、フィラリアなど人獣共通感染症も多い。

助手:

すごい名前が並びましたねー。ビルハルツとかメジナとか、新しいポップスのグループ名かと思いましたが。

博士:

さらに、常に流行しているわけではないが、この地域では、エボラ出血熱やコンゴ出血などの流行情報にも気を配っておく必要がある。

助手:

エバラね。よく知ってますよ。

博士:

エボラじゃ。どこが、よく知ってますじゃ。焼き肉のタレじゃないんだから。

助手:

焼き肉と言えば狂牛病も日本でついに発生しましたね。

博士:

ああ、牛海綿状脳症、BSEじゃな。これについては、主としてヨーロッパで発生した。

助手:

脳が海綿のようにすかすかになる病気ですよね。人にもうつったとか。

博士:

牛の病気としては英国の18万を筆頭に、アイルランドやポルトガル、フランスなどのヨーロッパ諸国で数百頭単位の感染が報告されている。この病気は種の壁を超えないと思われていたが、人の変異型クロイフェル・ヤコブ病(v-CJD)がBSEによるものだと判明し、大問題になった。ただ、人のv-CJDの感染者は、一番多い英国でも110人前後、フランスでも数人にすぎない。

助手:

そうですか。意外に少ないですね。

博士:

うむ。数年前からヨーロッパでは問題になっており、在勤していた医務官からも早期に報告されていた。

助手:

なるほど。こうした外国で流行している病気が日本に入ってくる事も考えると、医務官の医療報告というのは重要なんですね。

博士:

そうじゃ。人の行き来が多い現代では、外国の病気とたかをくくっているわけにはいかなくなっている。現地からの情報はニュースなどからも入ってくるが、実際にそこに居住している人からの情報は重要じゃ。昨年の炭疸菌の騒動でも、現地の保健局の専門家などから早期に詳細な情報を聞き出し、医務官は報告している。

助手:

外国の病気は医務官に聞け。と言う事ですね。

博士:

そう考えてもらって良い。

3、医務官の採用方法他

助手:

こうして見ると医務官への期待も大きくなっているようですが、採用はどのようにしていますか? 友人の医師から聞かれたんですが。

博士:

最近はこの手の質問も多くなっているようじゃな。医務官の採用は、欠員が出た場合に公募している。通常は医事新報に掲載している。履歴書を提出してもらい、面接をして採用を決めているとの事じゃ。条件は内科、外科ないし精神科の臨床10年以上となっている。詳しくは福利厚生室の医務官班に問い合わせると良い。

助手:

そうですか。伝えておきます。それにしても、医務官も大分世間に知られるようになってきて、注目されているようですね。

博士:

うむ。それだけ責任も大きくなっている。海外での諸学会を通じて積極的に情報を収集し、さらにそれを一般向け、学術向けに発信していく事が求められている。

助手:

日頃の保健相談もほぼ全科に及ぶようですし、たいへんですね。

博士:

まあ、税金を使って貴重な体験をさせてもらっているのだから、それだけの仕事はしてもらわないといかん。

助手:

医務官もそうですが、外務省も今年は良い年になるといいですね。引っ越しして、心機一転となればいいですね。

博士:

うむ。外交は、新しい時代に突入している。内部でゴタゴタしている場合ではない。全省員一丸となって取り組まなければならない。外務省自ら、新しい時代を提言する意気込みを示してもらいたい。

助手:

民間は頑張っていますよね。

博士:

そうじゃ。そして民間の企業を応援している海外邦人医療基金JOMFも、頑張ってる。

助手:

こうしてわざわざ我々を呼び出して話をさせるわけですからね。苦労されているようですね。

博士:

そうじゃな。ネタ探しに奮闘して、我々まで呼び出したんじゃろう。インドネシアでお役ご免かと思っておったのに、再登場で、また君のくだらない話を聞かなければならないはめになってしまった。

助手:

それは、どうもご迷惑さまでしたね。もう2度と顔合わせないように、編集担当の方にお話しておきます。でも、意外に人気が出て、またお呼び出しがあったりして。「博士と助手」だけに、「拍手と賞賛」の嵐とか・・・。

博士:

しゃれにもなっていないし、そんな話は全く聞かない。

助手:

じゃ、次回はタイトルを変えましょう。女性問題、三角関係のもつれの末路を描く、「博士と情死」なんてどうですか。

博士:

なんじゃ、それは。誰が、描くんじゃ。わしには覚えがないぞ。

助手:

博士も医務官同様、世界を渡り歩いていますからね、港々で浮き名を流されたとか?

博士:

君のようなドジは踏んでおらん。なんじゃ、せっかく、長々と医務官の認識を高めてもらうために話をしてきたのに、結局、暴露本の出版という落ちか。

助手:

それでは、読者の皆様。次回またお会いしましょう。

博士:

次回は無い、ちゅうに。


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医療落語「博士と助手」オリジナル

著書:想像を超えた難事の日々(増刷)