母親の話

2000年6月


           

助手:5月は母の日がありましたね。
博士:うむ。第2日曜日。カーネーションを贈る習慣があるな。
助手:博士のお母さんは、まだご健在で?
博士:とっくに亡くなっておる。君は何かしたのか?
助手:まあ、離れているんでプレゼントはしませんでしたが、電話くらいはと思っていたんですが、大事な会合があって・・・
博士:単なる飲み会じゃなかったのか? 親孝行したい時には親は無し、じゃぞ。
助手:ええ、わかっているんですが。うちの母親はこの年になってもまだ私を子供扱いで、困ってます。
博士:まあ、仕方がないじゃろう。親にとってはずっと子供にかわりはない。まして君のような子供の場合は、まだ結婚もしておらんし、心配なんじゃろう。
助手:そうですね。嫁さん連れて孫の顔でも見せれば安心するのかもしれませんね。
博士:うむ。親としての生物学的な役割を終えたとほっとできるかもしれんな。
助手:ところで、ジャカルタで生活されている日本人のお母さん方もがんばっているようですね。クラパというガイドブックを見ましたが、実によく出来ていますね。
博士:あれは感心した。ジャカルタ・マザーズクラブというボランティアグループが発行している情報誌で、「ジャカルタでの妊娠・出産・育児・生活のためのガイドブック」と題して主として主婦を対象に作られておるが、主婦のみならず単身赴任のお父さん方が一冊手元に置いても損はない
助手:病院や薬の説明といった医療全般から生活面ではストレス対策、使用人との付き合い方の問題等々内容が幅広いですものね。
博士:うむ。実際に生活されている方々が体験あるいは取材した物ばかりじゃから実に役立つ内容になっている。これほどのガイドブックは世界中みわたしても見つからないじゃろう。
助手:お母さん方の努力のたまものですね。母の愛は強し、ですね。
博士:ジャカルタでの子育ては、日本と違って情報が少ないからな。
助手:日本は最近、子育てマニュアルが氾濫していますよね。
博士:昔ならば大家族で生活し、地域内の関係も深かったから、おばあちゃんの知恵や近所のおばさん達から多く情報を得て、子育ては行われていた。じゃが、今は、そうした人を通じての情報がむしろ得にくくなっているのかもしれん。
助手:お母さん方にとって子育ては難しくなっているんですね。
博士:うむ。そして、そのお母さん方の心の不安定さを子供は敏感に感じとる。
助手:子供も不安定になってしまう、という訳ですね。
博士:研究によれば、生後4ヶ月位の母子関係が子供の精神発達に重要な影響を与えると言われている。
助手:幼児時代が重要なのは聞いていましたが、4ヶ月じゃ、まだ乳児ですよね。
博士:児童の精神分析学を乳児に応用したものじゃ。生まれた直後は自分自身の延長として考えていた母親を、4ヶ月位までの時期に良いオッパイ、悪いオッパイとして認識するようになる。
助手:私の場合は、好きな形のオッパイと嫌いな形のオッパイはありますが・・
博士:・・・君の話はいい。乳児は、欲しい時に飲ませてもらえるオッパイと欲しい時に飲ませてもらえないオッパイ。この二つを別の物として認識する。そして、次第にこの二つは別物ではなく、同一の存在の二つの側面である事を理解するようになる。
助手:母親を一人の存在として捉え、人間の多面性に気づくわけですね。
博士:そうじゃ。最初の段階は敵・味方だけの刹那的な妄想分裂ポジション、次の段階が人を思いやることのできる抑うつポジションと呼ばれる。この移行は4・5ヶ月に始まるとされている。そして、この時期にこうした精神発達過程を経ていないと、後に性格的な問題が生じると考えられている。
助手:妄想分裂ポジションのままとどまっている場合がある、という事ですね。
博士:とどまる場合もあるし、ストレス下で分裂ポジションに退行してしまう事もある。人間に対する認識で、多面性がある事を理解できなくなるんじゃ。
助手:あー、なるほど。たまにいますね。他人を二種類に分類して考える人。自分の味方か敵か、って。
博士:最近問題になっている境界性人格障害と呼ばれているケースじゃな。
助手:境界性人格障害というのは具体的にはどんな性格ですか?
博士:うむ。アイデンティテーの混乱。対人関係における安定性がないこと。怒りのコントロールができず衝動的な行為に走ること。孤独に耐え難いこと。自傷行為があること。慢性的な空虚感、退屈感をもっていること等が特徴としてあげられる。
助手:事件になっている17歳の少年のケースにあてはまりそうですね。
博士:他人を100%良い人か、反対の100%悪人かに分ける傾向があり、自分自身の事に関しても白か黒かに判断し、灰色はありえない。時として、そのために完全癖となり自分を苦しめる事にもなる。
助手:若い人に増えているんですか?
博士:うむ。その背景には、先に挙げた乳児、幼児時代の問題が関係していると言われている。具体的には身体的・性的虐待、人生早期における両親との死別や離別の体験を有する事が多いとされている。
助手:親なんていうものは、いつかは離れる存在ですが、それがあまりに早すぎるといけないんですね。
博士:そうじゃ。喪失体験というのは、死別や離婚といった物理的なものと、失恋や決別といった精神的なものがあるが、いずれの場合でも、その「喪の作業」には時間がかかる。時間をかけて自分を納得させていく必要がある。そして、そもそも、その前の段階として十分に愛されている、愛されていたという自覚を得ておかなくては「喪の作業」を行えない。
助手:親から巣立つ場合でも、まず、親に十分愛されていたという自覚、自信が必要なんですね。
博士:そうじゃ。その自覚を持てないままに成長してしまうと、いつまでも親から、あるいは愛するものから離れられない。精神的に依存したままになってしまう。自分のアイデンティティーを確立できない。
助手:厳しいですね。そういう例では性格を直すという事も難しいですよね。
博士:うむ。一生精神的に彷徨する事もある。ただ、境界性人格障害であっても、社会に適応できないわけではなく、むしろ感受性が鋭い分、芸術的な活動に秀でたり、自分の満ち足り無さを補完するために社会奉仕活動に没頭するケースもある。そうした活動を通じて、自分のアイデンティティーを確立していく。亡くなったダイアナ妃も人格障害の傾向があったと言われている。
助手:なるほどね。社会奉仕活動には熱心でしたものね。身内、家族からすると困った存在だったかもしれませんが、あれだけ多くの人から愛された人も少ないでしょうね。
博士:うむ。ただ彼女自身の心は満たされていたのか、幸福だと感じていたのかというと疑問じゃな。
助手:そうですね。でも考えてみると彼女以外でも、芸術家の多くにそういう例を見ることができそうですね。心の満たされなさを補うためにアートに向かい、大衆からたくさんの支持・愛を得る。
博士:でも、実際彼ないし彼女が求めていたのは一人の母親という存在からの愛だけだったかもしれん。親、特に母親から、お前はいい子だよ、愛しているよ、と言われたいためだけに一生を費やして頑張るんだな。
助手:原田美枝子主演の映画に「愛を乞う人々」ってありましたね。
博士:うむ。子供時代に母親から虐待を受けていた女性が成人して、娘とともに母親探しの旅に出る話だったな。なかなか良くできた映画じゃった。
助手:子供の虐待の話と言えば、最近テレビドラマにもなっているようですが、天童荒太の「永遠の仔」もありますね。
博士:あれも実によく書けている。涙なくしては読めん。わしにとってここ10年での最高作の一つにあげられる。
助手:ベストセラーらしいですね。でも、そういう本が売れているというのは、いかに虐待を受けた子供達が多いかという事ですかね。
博士:そうかもしれん。子供にとって親というのは、神にも等しい存在じゃ。その神から虐待を受けるという事は、子供自身にとっての存在を問われるに等しい。
助手:何故愛されないのかと辛い日々を送るわけですね。
博士:一方、母親の方も何故我が子を愛せないのかと悩んでいる。そして母親自身も実は愛し方がわからない。愛している事を伝える方法を知らない。何故なら、子供時代に愛されたと自覚できなかったから、という例も多い。こうした虐待は世代間で伝達してしまうと言われている。
助手:なるほど、辛い思いをしたはずなのに、また自分の子供に繰り返してしまうんですね。うーん、難しい問題ですね。博士、私も愛を乞う人ですね。毎晩毎晩愛を求めてさまよっていますからね。
博士:君の求めている愛は別物じゃろう。さまよっているのも一定の場所に偏っているようじゃしな。そんな放蕩は止めて、まともな生活に戻り、早くお母さんを安心させなさい。
助手:いやー面目ない。ほんと、お金は随分つぎこんでいるんですがね。
博士:お金を使うから本当の愛が得られないんじゃないのか?
助手:おっ! 目から鱗でした。そうか。お金はいっさい使わないようにします。
博士:まあ、君の場合、少しは使わないと得られない気もするがな。
助手:えー、博士、どっちなんですか? 使った方がいいんですか、使わない方がいいんですか?
博士:使うべきは誠意じゃな。真心でもよい。そして見返りを求めないこと。ひたすら人に尽くすこと。文句一つ言わず。それを10年続けてみなさい。何かきっと良いことがあるかもしれん。
助手:見返りなく10年ですか??? それで愛は得られるんですね。
博士:いや、わからん。でもヘルマンヘッセも言っている。大事な事は、愛される事ではなく、愛する事だと、な。
助手:博士。私はお金を使う方を選びます。母の日も、愛も、大事なのは、カーネーでしょん、て。
博士:しょうもない。カーネーションか。せっかくの母親の話も台無しだな。
助手:いや、理解してますよ。子供にとって大きいオッパイは重要なんですよね。
博士:大きさは関係ない。
助手:でも、小さいと赤ちゃんにオッパイをあげる時、苦労するんじゃないですか。
博士:授乳時はたいてい大きくなるからそんな心配はいらん。もちろん普段の時、服装選び等でその事を悩んでいる女性はいるかもしれんがな。
助手:服選びでの苦労ですか。・・・・・!! 博士、先月号はゴルフの話でしたが、考えてみるとスコアの伸びない私と胸の小さな女性の悩みは似ていますね。
博士:そりゃまたどうしてじゃ? 君のゴルフの悩みと女性の胸の悩みがどう繋がるんじゃ?
助手:どちらももパットで苦労してます、って。
博士:!? どーでもいいが、話の筋が・・・・・

 


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