医者の話

1999年9月


助手:博士、インドネシアと日本の医療で違う点は何でしょう?
博士:そうじゃな。いろいろと挙げられるが、まずは一般の人々の病気に対する考え方、治療に対する考え方が全く異なるな。
助手:日本であっても、インドネシアであっても同じ人間で症状も同じわけですから、基本的には一緒のはずですよね。考え方っていうのは、どういう事ですか? インドネシアの病気は全て呪いの仕業によると考えられている、と言う事ですか?
博士:うむ、それもあながち冗談ばかりと言い切れない。
助手:えーーっ? 軽い冗談のつもりで言ったんですけどね。
博士:まあ、教育を受けた人々、まして医療従事者は、感染性の病気は細菌なりウイルスが原因である事等も知っているし、その考えの元で治療は行われている。
助手:そりゃ、そのはずですよね。病院でひたいに草履をのっけられたりしたら驚きますよね。でも地方で昔ならではの生活をしている人々は、そんな細菌などより呪いの方を信じているという事ですね。
博士:地方のレベルだけではない。実は一般の多くの、もしかすると大多数の人々は、細菌よりも呪いに真実味を感じているのかもしれん。
助手:そうか。それで使用人達もなかなか医者に行かないんですね。すぐ、ドゥクンのところに行って治してもらおうとしますよね。
博士:もちろん、それは経済的な面も関係している。1回の相談料が医者によっては、5万も10万もかかるし、そんなところへ月20万そこそこしかもらわず、保険も無い 彼女たちが行けるわけがない。無理して行ったとしても、だまって処方箋をわたされるだけ。処方箋をもらえば、薬を買わなければならないが、それもまた何万ルピアもかかってしまう。それに、そもそも医者に行っても治らない事もある。
助手:そうすると、評判の良いドゥクンのところへ行った方がまし、という訳ですね。
博士:そうじゃ。有名なドゥクンは地域住民から尊敬されておるし、評判も良い。そこでありがたい悪魔払いをしてもらえば、すっかり心が晴れる。周囲の人もよかった、よかったと言ってくれる。そうなれば、本人も治らずにいられない。という訳じゃな。
助手:鰯の頭も信心から、ですか。
博士:おっ、古い諺を知っておるな。信じる気持ちになる事、治る気持ちになる事は、既に治癒への階段を昇っている事になる。
助手:そうか。なんか、得体の知れない、評判の悪い医者に行って、わけわからない治療を受けても、確かに治る気がしないかもしれませんね。
博士:日本の場合でも同じじゃ。徳の高い、評判の良い医者のところに行き、じっくり悩みを聞いてもらい、ありがたい薬をいただけば、それだけでもう、おばあちゃんならば病気は治る。
助手:おばあちゃんだけではないでしょうけど。日本の場合には、そうした占い師や祈祷師などの方を信じている人は少ないかもしれませんが、偉い医者に対する尊敬がそれに代わっているのかもしれませんね。逆に言えば、医者も技術プラスそうした信頼感、人徳が問われるわけですね。
博士:うむ。そこが昨今大きな問題になっておる。学校の先生の場合でも同じじゃが、社会はその地位、職業だけでは尊敬の対象にはしてくれない。そんなシステムは崩壊したと考えられる。昔は社会が、そういうシステムを構築していたから、先生や医者は皆、形の上で尊敬されていたと言える。
助手:なるほどね。でも実際に立派な人が多かったように思いますけど。
博士:数の問題も確かにある。医者もかなり増えたから、質が落ちたのかもしれん。集団で暴行事件を起こすような医学生や、商売ばかりに熱心な医者、名声ばかりを追い求めている医者も確かにいる。嘆かわしいばかりじゃ。
助手:患者の側が選ぶ必要があるんですね。
博士:そういう事じゃ、前回、自分の死を創る、と話したが、自分の生を創るためにも治療を選ぶ、医者を選ぶ必要がある。
助手:どんな医者が理想ですか?
博士:もちろん、まずは技術じゃ。技術の伴わない医者は、どんなに尊敬できる人格を持っていても、それは話し相手になるにしかすぎない。常に病気の知識を吸収し、治療技術を磨いていることは絶対条件じゃ。
助手:おばあちゃん達のように、話し相手を求めている場合には、話術だけでも良いのでしょうけどね。
博士:まあ、そうかもしれんが。それと、訴えをじっくり聞いてくれる医者、患者の顔をしっかり見てくれる医者が良い。
助手:そうですよね。大学病院の若い医者なんか、忙しいのかなんだか知りませんが、血液やら検査のデータ用紙ばかり見て話をするだけで、ちっともこっちの顔を見てくれない事がありますよね。「データは異常ありません。お帰りください。」なんてね。
博士:うむ。人は機械ではないんだから、データではわからない側面もあるはずじゃ。その患者の訴えの裏側、背景にも目を配ってもらいたいもんじゃな。
助手:インドネシアにもそんな良い医者はいますか? 
博士:いる。評判の良い医者も多いぞ。じっくり診てくれて、親切で、診療が終わった夜にも必ず、その後の様子を電話で確認してくれる医者もおる。
助手:頭が下がりますね。そうですか。そこまでしてくれれば、皆信頼しますよね。さっそく私もそこに罹ります。ちょっと下の病気が心配なものですから。
博士:また、やっとるようじゃな。もちろん専門、得意分野、病院の施設という事もあるから、何でもかんでも同じ医者に相談すれば良い、という訳ではない。治療に疑問を持てば、他の医者の意見を聞いてみる事もたいへん重要じゃ。日本ではこの場合どんな治療が行われるのかを確認して安心する事も必要じゃ。セカンド・オピニオンをとって判断する事は、患者の正当な権利なんじゃ。
助手:医者だって間違う事もあるでしょうしね。他の人の意見を聞いてみる事は大事ですよね。
博士:そうじゃ。ドクター・ショッピングはどうかと思うが、2-3人に聞いて、治療方法に確信を持つ事は、治癒へ繋がる。
助手:インドネシアでは、それほど選択肢がありませんから、ウインドウ・ショッピングはできませんよ。実際の買い物でもそう思います。物は一見豊富にありそうに見えても、実は必要なサイズが無い事がよくありますからね。
博士:それで下の方の病気はどうなんじゃ。どこかで診てもらったのか?
助手:いやー、恥ずかしくて、なかなか。
博士:長引いてもいかんから、早めによーく診てもらいなさい。シラミつぶしにな。
助手:うっ。そう来るか。よっ、シラミ五人男、なんてミエ張ってる場合じゃないですね。行って来まーす。もう痒くて痒くて。

 


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