カルチャーショックの話

1997年12月

助手:博士、もう年末ですね。
博士:そうだな。あっと言う間だな。特に今年は、森林火災やら飛行機事故やらと事件が続き落ちつかなかったから、時間が過ぎるのが早いような気がするな。
助手:病気の面でも、今年初めはデング熱の大流行、乾季が長引いてからは気管支や呼吸器の病気が流行したりと、博士もお忙しかったですね。
博士:しかしこれからも雨が降ったら降ったで、洪水も予想されとるようじゃ。そうなれば、下水やトイレが溢れるなどして、食中毒が増えるかもしれんな。
助手:あれだけ雨が待ち遠しかったのに今度は洪水ですか。確かにあちこちで乱開発が進んでいるようですから、市街地の水はけが悪くなっているかもしれませんね。
博士:そうだ。君も大分、当地に対する理解が進んできたようじゃな。
助手:そりゃもうこちらに来てから2年近くになりますから、すっかり適応しています。
博士:言葉も随分できるようになったな。さすが夜な夜な出かけて、大枚はたいて習っているだけの事はあるな。
助手:ええ、随分授業料は払いましたからね。でもこの学校で習うインドネシア語は、どうも一定ネタで内容が偏っているようですけどね。
博士:まあ良い。土地の人と交流し、言葉を習う事は適応する為には大切じゃからな。
助手:でも最初は本当に困りましたよ。言葉は全然通じないし、インドネシア人との仕事はちっともはかどらないし、来た当初は怒ってばかりでしたね。
博士:それは、不満期と呼ばれる時期の特徴じゃな。
助手:不満期??ですか。
博士:そうじゃ。慣れない環境に置かれると、最初は無我夢中な状態じゃ。これは移住期と呼ばれる。そして数週間位たち現地の欠点が見え始めるようになる。この時期が不満期じゃ。これは、どんなに適応力が高い人でも一度は経験する。
助手:誰でも経験するんですね。
博士:そうだ。共通のパターンじゃ。そしてさらに進むと、現地はこんなものだとあきらめ、ありのままに受け入れるようになる。この時期は諦観期と呼ばれる。
助手:そうそう、私も随分と諦めましたよ。インドネシアではこんな風にティダ・アパアパやっていくしかない、とね。
博士:さらに進んで無理なくとけ込み、現地生活を楽しめるようになると適応期と呼ばれる。しかしここまで来れる人はそれ程多くない。
助手:多くないですか? 在留邦人の中にはいっぱいいるように見えますけどね。
博士:うむ。確かに当地では多いかもしれん。一旦帰国してからも当地へ戻ってくる人も多いようじゃな。そしてさらに進んで長期滞在者になると、日本に強いノスタルジアを感じるようになる。望郷期と呼ばれる。
助手:日本人としてのアイデンティティーを見つめ直す時期ですかね。
博士:そうじゃ。良い事を言うな。まあ、異国で適応していくには、こうしたパターンを誰しもとるようじゃ。その中で特に不満期と呼ばれる生活のセッティングアップが一段落した頃の過ごし方が適応を上手にできるかのポイントになる。
助手:確かに、たまに現地に対する不満や不平をいつまで経ってもぐちぐち言っている人がいますよね。こういう人は適応が悪いわけですね。私みたいに早く現地の人と仲良くしてとけ込めると良いですよね。
博士:たまに過適応と言って、有頂天になりすぎて足元をすくわれる例もみられるがな。
助手:まあ、楽しければ良いじゃないですか。
博士:すっかり現地化しておるな。まあいつまでも不満期にいるよりは良いがな。不満期が長引いてくると、心身の不調が出現する。不眠、いらいらが続き、胃が痛くなったり、下痢が長びいたりする。風邪をひいても治りにくくなる。さらにうつ病のような状態になってしまう事もある。
助手:うつ病になったらたいへんですよね。
博士:まあ、この場合のうつ状態は、あくまで環境の変化が原因による反応性のものであるから、一時的にでも帰国させるとケロッと治ってしまう事も多い。
助手:帰国すれば治るならそれ程心配はいりませんね。   
博士:じゃが、何しに当地へ来たかわからなくなるし、会社としては困るな。
助手:どのようにすればうまく適応できますか? やはり夜の街に繰り出して・・・
博士:まあ夜の街ばかりではないだろうが、適当な気分転換を図る事は一つの方法じゃ。ゴルフやテニスなどのスポーツをしても良いし、夫人方ならグループ活動などに積極的に参加しておしゃべりをしても良い。
助手:家にこもってばかりいてはだめというわけですね。でも話し相手と言っても仕事の関係の集まりばかりだと、うっかり余計なことをしゃべってしまって仕事に差し支えるような事があってはいけないと考えてしまい、かえってストレスになる事もありますよね。
博士:夫人の場合も同様じゃな。ご主人の上司の夫人との付き合いというのは疲れる場合も多いじゃろうな。それだから先ほど言ったように、仕事やご主人の関係とは無関係なジャパンクラブの趣味のサークルやボランティア活動、子供のプレーグループの集まり等に積極的に参加した方が良い。
助手:そういう場所で気がね無くおもいっきり生活の不満などを話して役に立ちそうな情報を仕入れてくるわけですね。
博士:そうじゃ。
助手:でも、本来社交的でなく、そういうグループに入るのが苦手だから孤立してしまっていつまでも不満期にいるのではないですか?
博士:おっ、今日はつっこみが鋭いな。確かにそうじゃ。まあ、そういう人は、日本などにいる親しい友人に電話や手紙を利用して不平や不満を聞いてもらうと良い。
助手:電話だと高くつきそうですね。
博士:それで精神の安定が図れて早く当地にとけ込めるなら安いもんじゃ。まあ、手紙の方が書いていくうちに問題が整理され、こんなくだらない事で悩んでいたんだ等と思えるようになる利点もあるがな。まあ、いずれにしても、そうした友人には予め頼んで、決して腹を立てたり批判をしたりせず、ただただじっくり聞いてもらうようにしておく事が必要じゃ。
助手:そうですね。こっちが不満をぶちまけようと思って電話しているのに、いちいち反論やお説教されたんでは、かえってストレスが貯まりますよね。
博士:そう言う事じゃ。まあ、この場合の愚痴をぶちまける相手として一番良いのは配偶者じゃろうから、家族同伴で赴任している場合には有利じゃな。
助手:有利かもしれませんけど不利な面もあるかもしれませんよ。
博士:うむ、独身の割には鋭いな。確かに在外生活は夫婦関係が試される時じゃな。共に慣れない環境に直面し苦労していくわけじゃから、在外生活はある意味で戦場であり、夫婦は戦友かもしれん。絆が強くなる夫婦もあるじゃろうし、逆に日本であれば見えなかった亀裂が大きくなり、関係が悪化する夫婦も少なくない。
助手:特に夫人の場合は、ご主人の都合で行きたくも無いのに連れてこられた戦場かもしれませんからね。
博士:そうじゃ。仕事で来ているご主人の方は、それなりの覚悟もあり不便な面も仕方がないと早く諦められるかもしれんが、夫人は違う。バリの横にある都市に赴任すると、だまされて来ているうな気になるかもしれん。その点をご主人は配慮する必要がある。
助手:在外ならば日本のようには忙しくないはずだから、少しは夫婦で話す時間も長くなり、週末位は子供の面倒を見てもらえると期待して付いてきたのに、こちらでも相変わらず忙しく夜は遅いし、週末は週末でやれゴルフだソフトボールだ、では夫人が怒っても仕方がないですよね。
博士:どこかで聞いたようなセリフだな。この間来た時に盗聴マイクでもしかけたのか、君は?
助手:盗聴してなくても、博士のお家の事は想像がつきますよ。
博士:おほん。まあ、ともかくじゃ。じっくり話を聞いてあげることじゃな。
助手:それと、会社の方でも理解がほしいですね。
博士:今日は君の方が落ちついてるな。いや、その通りじゃ。こうしたカルチャーショックによる在外生活の不適応というのは、誰でも通る道である。当初は、本人が一番苦しんでいるんじゃから、上司も理解して、仕事はゆっくり立ちあげさせる。ただでさえ暑い国で疲れやすく、緊張もあり眠りも浅くなりがちじゃから、疲労をとるために適宜休養や休暇をとらせる。そして、夫人が同行している場合は、週末は仕事やゴルフ等を必要以上に強制せず、家族のもとに居れるようにしてあげること、こうした配慮が必要じゃ。
助手:せっかく無事に任期を終えて帰国してみたら、家族はばらばらで離婚、じゃいけませんよね。
博士:帰国してからも、日本に適応するためのカルチャーショックもある。この時にサポートとなるべき家庭が破綻していたのでは、それこそカーチャンショックじゃ。
助手:博士、今回はどうも切れがありませんね。奥様の話が相当こたえたんですか?
博士:いや・・、そんな事はまっっったく無い。ただ、今日位は早めに帰宅しようかなと思ってな。それじゃ・・お先に。

 


コメント

このブログの人気の投稿

令和6年能登半島地震 支援者向け関連情報

著書:想像を超えた難事の日々