科学の話

2000年3月掲載


助手:博士、久しぶりの日本はいかがでしたか?
博士:丁度寒波が襲来してな、東京にも雪が降った。
助手:それは寒かったですね。
博士:うむ。しかし、その分、食べ物が旨かった。こっちでわしはソトアヤムをよく食べておるが、日本ではそば、うどんをたんまり食べられた。鍋も最高じゃった。
助手:いいですよね。ふぐ鍋に熱燗。たまりませんね。それにしても、博士が日本いらっしゃる間にも、いろいろな事件があったようですね。
博士:うむ。嘆かわしい事件が多かった。何故あんな宗教、遺体を生きていると頑固に主張するような得体の知れない似非宗教を人々が信じるのか? そんなに現代の科学や医療は人々の心を救えない存在になってしまったのか。
助手:相当憤慨されてますね。
博士:20世紀は科学の時代だったはずじゃ。皆科学の進歩に驚喜し、人類の未来は明るいものと誰もが信じていた。
助手:しかし、ここに来て科学に限界が見え始めた、科学で解明できないものに興味が移って来たという事ですか?
博士:どうかな。わしは、解明できないと言って、似非科学、似非宗教に惹かれるのは方向が違うように思う。むしろ科学的、論理的な思考で解明できる部分をしっかり認識するべきだと思う。科学は物質的反映をもたらすだけのものではなく、論理的思考、方法論を示しているはずじゃ。
助手:今の科学でわからないからと言って、オカルトに飛びついてはいけない、という事ですか?
博士:うむ。原因のわからない現象を何でも宇宙人のせいにしてはいけない。特殊な能力を何でも超能力と呼んで片づけてはいけない。写真に写った影を何でも霊のせいにしてはいけない。
助手:博士は、そうした物は全く信じていないんですね。
博士:そうではない。宇宙人もいて欲しい、この広い宇宙に人類以外の仲間がいればどんなにうれしいか。いわゆる超能力と言われる能力を一般化し再現性のあるものに普遍化したい。霊と呼ばれるものは何なのか、個体の死は何を残すのか? どんな影響を全体に与えるのかを知りたい。常にそう思っている。しかし、不思議と思われている多くの現象をそうしたオカルト的なもののせいにする事で、思考は停止してしまう。そこを問題にしているんじゃ。特に若い人、子供達にさらに、その先を論理的に考える習慣を身につけて欲しいと願っている。
助手:うーん。なるほど、博士は科学の子なんですね。
博士:手塚治虫の鉄腕アトムじゃな。今の子供達にもあの時代の夢を持ってもらいたい。
助手:でもアトムの中でも、既に科学の悪しき弊害が指摘されていましたよね。
博士:コントロールするのは人間じゃからな。倫理観あっての科学である事は普遍の真理じゃ。科学の生み出したものに問題が生じたとしても、科学的な思考そのものに問題があるとは思えん。アトムを生み出す情熱を今の日本の子供達にも持ち続けてもらいたい。そして、本物と偽物とを区別する能力を養ってほしい。
助手:そうは言っても、科学も相当に専門化してしまいましたから、膨大な知識がないと本物と偽物を区別する事はできないのではないですか?
博士:膨大な知識がなくとも、真なるものと似非なるものを見分けるこつがある。
助手:どんな方法ですか? 具体的に教えてください。
博士:96年に惜しまれて亡くなったコーネル大学天文宇宙科学科教授のカール・セーガン博士は懐疑的思考を提唱している。
助手:カール・セーガン氏と言えば、ジョディー・フォスター主演の映画「コンタクト」の原作者ですよね。
博士:うむ。彼は、科学者が出会うさまざまなトンデモ話、いいかげん話を見分けるための検出キットを提唱している。科学者のみならず、一般の人にとっても役に立つと思われるので紹介する。それによれば、まず、仮説が提唱されたら必ず裏付けをとる事。仮説を多くの人の議論のまな板にのせて、さまざまな観点をもつ人達に根拠のある議論をしてもらうこと、と述べている。
助手:一人の言う事を鵜呑みにしてはいけない、という事ですね。
博士:そうじゃ。声の大きい人に左右されてはいけない。さらに、権威主義に陥ってはいけない。科学に権威はいない、科学に存在するのは少しの専門家だけじゃ。権威と呼ばれるもは歴史上でいくつも間違いを犯してきたし、これからも犯すかもしれない事を肝に銘じる事じゃ。
助手:教会の権威で、地球は平らだ、とか、ありましたよね。
博士:さらに、仮説は複数立てる事。説明できない事実にぶつかったら仮説をありったけ考え出すこと。例え幽霊のような物を見たとしても、それが何なのか、かたっぱしから考えてみる。影か、光か、電磁波か、波動か等々。そして、この仮説を反証する方法を考える事じゃ。影でない理由、光の反射でない理由を徹底的に考える。最初から安易に幽霊のせい、と結論してはいかん。
助手:反証をしていって、それで何も可能性が見つからない時に初めてそれ以外の物、霊とかを考えるわけですね。
博士:うむ。さらに、身びいきをしない事。自分の出したアイデアに執着しない事。何故そのアイディアが自分で好きなのかを自問してみる事が必要じゃ。
助手:これは結構陥りやすい点かもしれないですね。幽霊のせいにしておくと皆が面白がるから、なんて言うのがあんがい大きな理由かもしれませんよね。
博士:その他にも、自分自身で、その仮説の弱点を叩き出す事。弱点を見つけられという事はより客観的に見れている事になる。さらに、現象を説明できる仮説がもし二つあるなら、より単純な方の仮説を選択する事。真理は得てして単純な事の方が多い。さらに、反証できない仮説は意味がない事。などを挙げている。
助手:最後の反証できない仮説は意味がないというのはどういう事ですか?
博士:例えば、「宇宙の全ての素粒子は毎秒毎に2倍に大きくなっている」というものじゃ。こんな説を述べられても、物差しまで2倍になるんだから反証のしようがない。
助手:そうですよね。「この遺体は、我々の定説では生きている」なんて言うのも、ばかばかし過ぎて反論のしようがないですけどね。
博士:そういうのこそ、まっこうから反論せねばならん。まあ、ちょっと説明が長くなってしまったが、こうした検証を常に行って行かねばならない。科学的な実験ばかりではない。人を見る場合でもそうだ。多面的に判断する必要がある。
助手:人に対してはあまり懐疑的な態度で接するのはどうかと思いますけどね。
博士:うむ。しかし、ちょっと検証すればトンデモ話と判断できそうなものに、いかに多くの人がひっかかっているか、それが嘆かわしいんじゃ。
助手:わかりました。特に大風呂敷を広げているような人の場合には、よく注意して、観察してみる事にします。ジャカルタにも結構いますからね。日本人にもインドネシア人にも。
博士:君も、特に夜、騙したつもりが騙されて酷い目にあったり、金をせびられたりせんように注意しないといかんぞ。
助手:もー、十分検証が済んでますから大丈夫ですよ。他の方の場合よりも被害は少なかったですからね。警察に連れて行かれて話をするだけで済みましたから。
博士:えー? 知らんかったな。何の話じゃ。いつそんな事があったんじゃ? 留置はされなかったのか?
助手:話をしただけです。すこしお金をとられましたけどね。そもそも嫌疑は間違いで、ヒモのような男に言いがかりをつけられただけなんですよ。だいたい、その女性と私はまだ何もなくて・・・
博士:何だか、どーしよーもない話になってきたな。せっかくわしが、科学の子、鉄腕アトムにふさわしいまじめな話をしとったのに。
助手:博士、私の場合は博士のようにお茶の水博士や10万馬力のアトムにはなれませんね。アトムじゃなくて、10万ルピアのアヤム位ですかね。
博士:なんじゃそれは。アトムとアヤムではえらい違いじゃな。そもそも10万ルピアとはちょっと高いな。でも、君とアヤムの例え、案外あたってるかもしれん。
助手:どうしてですか? 両方とも重宝されているとか。
博士:違う。両者とも善良で皆から好かれてはいるが、臆病で、落ち着きがなく、行動が危なっかしい。何にでも口を出すが長続きしたためしがない。大衆的存在であり、1万ルピアなら買うかもしれんが、10万ルピアでは誰も手を出さん。
助手:うーん。動物占いみたいですが、よくあたってますね。でも、ニワトリだけにちょっとトサカに来る部分もあります。
博士:とにかく君の場合は、私生活をチキンとしなさい。
助手:えっ?? 話のトリにふさわしいコケコッコーなしゃれでした。

 


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